創作全般よっこらしょ

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声と道(一次創作 SS09)

ぐるりぐるり、ぐりりぐりりと彼は道を歩んだ。歩き回った。歩き続けることは実に尤も疲れ果てることでもあるが、兎に角歩いた。

なぜと思うかもしれない。だが理由などはないのだ。強いて挙げるならば、そこに歩ける道があったから。随分と彼方此方を歩き、とうとう彼は迷い子になった。

おん、と彼は泣いた。尤もそれは泣き声ではなく、鳴き声に近かった。次に彼は、おおうおおうと声に出して、涙をホロホロと流し、泣いた。肝心の思いは見つからず、あったとしてもとうに消え失せ、涙の熱さもわからぬままだった。

最後に彼は、おんおんと大声を上げて泣き叫んだ。誰も近寄らぬ。遠巻きに奇異な視線で彼を見るばかり。そんなことも気にならぬのか、兎に角泣いた。

そして彼は笑った。天を晴らす勢いで笑った。遠目にも、彼の顎がガクガクとして、その笑いが尋常でないことを見せていた。笑った、笑った、笑い抜いた。彼は道の真ん中で、とうとう発狂したのだ。

四つん這いになった彼は、笑いながらも「おう」と鳴き、道端で喋っていた小雀を追った。小雀は三々五々逃げていく。発狂は度を越した。毛並みを気にするように、シャッポの裾をくわえて舐めた。

遠くからサアベルを下げた官吏の憲兵と、保健所の職員が駆けてきた。彼にとって運の悪かったことに、そこはもう郊外の區役所が近かったのだ。保健所の若い男は、「こちらに来なさい」と言ったが、聞く耳などあろうか。憲兵はサラリと抜いたサアベルを向け、「大人しくしないかッ!」と恫喝した。

彼は笑い続けていた。それが憲兵の癇に障ったのか、アッと思う間もなく彼に近づき、サアベルをシャッポの裾に突き立てた。そこで初めて彼は笑うのを止めて、不思議そうに憲兵を見た。保健所の若い男も、恐る恐る近づいていく。憲兵は腰から手錠を出して、何の造作もなく彼の手首に掛けた。彼はまだキョトンとした顔で、掛けられた手錠と突き立ったサアベルを見ていた。

憲兵は勝ち誇ると、「不審の輩だ、連行する」と高らかに言い放ち、彼を立ち上がらせた。尤も彼は自分自身を喪失しているので、これからどうなるのかも、まるでわからぬようだった。

獄卒と変わった憲兵は彼を引っ立て、若い男は、「心配事は有りません」と周囲の人々に言った。彼は、大変に渇いた声で「ハハハ」と笑った。手錠に引き紐を繋げた憲兵が強く引くと、彼はまろぶようにしながらも、素直に歩いた。そしてもう一回、「ハハハハ」と笑ったのだ。

止まぬままの発狂で、時折くるくると踊るように歩くが、直ぐに憲兵から喝を入れられた。兎に角騒ぎは終息に向かった。「おん。アハハハ」と鳴いて笑った彼は、このまま牢獄に入るのか気の触れたものの住まう病棟に入るのか、それは誰にもわからなかった。

引っ立てられる先に、一宇の白亜塔が聳えていた。遠く道を歩く彼の「おん」が、さっきよりも雲の多くなったソラの先まで届いた。憲兵は己の手柄を誇り、若い男は保健所に戻るや書類をこしらえるのだ。

小さな風が道先から吹いてきて、彼の鳴き声と笑い声を、真昼の幻影のように回し巻き取っていた。

 

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Pinterestより