ゆっくりでもエヴァを考えてみたい…
こんばんは。
本当は今日のカウンセリングでの、EMDRワークについて書こうと思ったんですが、
わたし、内部人格さんと記憶の共有できないじゃんあはは。
と、まぬけをいきなりすっ飛ばすともみッス。
ので。
またエヴァの記事だよー。
完全に、お友だちのフォロワーさま、スペースさんからの影響ねw
前の記事にも書きましたが。
tomomikoshigaya.hatenablog.com
わたしはほとんど、ストーリーがわかっていません。
でも、要であった、
「人類補完計画」
って、何となくわかる気がするんですよね。
と言うのも。
古い劇場版(日本語語彙力)で、みんな弾けて? 消えて行っちゃったじゃないですか。あれってほんとうの意味で、「補完」だったと思うんですよ。
ヒトって、それぞれがきっと。踏み込めない、立ち入らせない領域みたいのがあって。それを守ってくれているのが、「ヒト」たる姿、言い換えれば「A.T.フィールド」のおかげで、形を保っていられるんじゃないかな、と。
その垣根を取っ払ってこそのが、「人類」が「補完」されるための「計画」だったのでは? なんて考えてます。
ヒトって、悲しく寂しい生き物だから。
寄り添っていたいのに、それができない。
作中にあった、たしかリツコさんの言葉。「ホメオスタシスとトランジスタシス」、「ヤマアラシのジレンマ」だからこそ、永遠にお互いがわかり合えない。
じゃ、それを無くして。
「みーんなひとつになろうよ!」
って。碇ゲンドウだったりゼーレのご老人たちは、考えたのかな。とか思います。
なんとも稚拙な解釈ですが、こんなふうに考えられる余地がある作品って、本当に貴重だと思います。
昨今のいろいろな作品(書籍だったりアニメだったり)って。過保護なほどにわかりやすいじゃないですか。
それはそれで、とっても大切な考え方と言うか立ち位置だと思うんですけど。
「考えると言う娯楽」を、ヒトは持ってますよね。それをちゃんと形にしてくれたエヴァってものは、やっぱすごいんだなあ、と。
あ、上記の言葉「考えると言う娯楽」は、鬼頭莫宏さんの、「ぼくらの」だったと思いますが、言い得て妙よね。
はい。いつもどおり、あっちいったりこっちきたりの記事になってますが、それがこのブログなので許してください。推敲しないで書きまくるブログとかも、あっていいでしょ? ダメかw
んなわけでして。
エヴァのエキスパートである、スペースさんから今後もいろいろ教わろうかな。ゆっくり考えようかな。
と、思ったあたりで。今回の記事はおしまいなのです。
おしまいまでお読みくださり、ありがとうございました。