解離性同一性障害 ~当事者のちっちゃな決意~
こんばんは
ちょっと考えてみたよの、わたしだって真剣になることあるんさなともみでっす
今日はまた、創作のことじゃなくて解離性同一性障害のことを、少し書いてみます
ぶっちゃけ、解離が生じている間は
言い換えると、人格交代が起きている間は
わたし(いつものともみ)は、ちょっと現実と言う舞台の後ろ側に下がっているような
そしてそこで、子宮の中の羊水にチャプチャプしている感じがしていて
苦痛なのか? と問われると、決してそんなことはないんですよね
ただ、誰かがいま舞台で話している・なにか行動をとっている、まではわかるんですけど
その話し声は聞こえないし、どんな行為なのかも見えません
飽くまで、感覚として、
「あー、誰かなにかやってる」
と言ったヒジョーに茫漠とした、そんな感情の触り心地? が、わかるだけなんです
さいわいなのか何なのか、わたし自身には答えを出せないですけど
中の子、内部人格さんたちはみんな、「過去のわたし」なので
薄くでも感覚がつかめているのかもしれません
ただ、感情を切り離す、そしてそのこと(出来事)を人格さんに託してしまう、託してしまってきたので
起伏に富んだ感情が持てるのかと言うことには、甚だ疑わしい部分があります
そんなこともあって
わたしは、「自分の感情をこの両手につかんでおく」ために、いつも何かを創作したり、Twitterに意味不明な詩を、ドンドコドンと書いているんでしょう
たぶん、ですけどね
その続きで言うなれば、自分なりに編み出した、ケアのひとつなのかもしれません
なんでまた、急にこんなことを書いているのかと言うと
感情を表したがっている、中の人格さんの声と言うか気配と言うか
それが次第にわかってきたからなんです
内部人格さんだって、感情があります
「こうしたい!」と言った、欲求だってあるでしょう
なので、わたしともみの都合ではありますが
このブログも、内部人格さんに開放しようと思います
いままで、Twitterにはそれぞれ人格さんの持っているハッシュタグで、創作していてもらいましたが、
「だったら、ここだって書いて(描いて)もらっていいんじゃない?」
と言う、浅はかかもしれませんが、その分感情に寄り添ったと思う決心です
よくよく考えれば、いままでだってわたしが覚えていないだけで
内部人格さんが書いた記事も、あるんじゃないかと思います
だったらちゃんと、ひとりのひととして書いてくださいな、みたいな
そんな気持ちが生まれました
そしてそれと同じくして
果たして書けるのか、書いたところで読み物になるのか
なっていたとしても、ちゃんと終わらせられるのか、ぜんぜん見通しは立っていないんですけど
わたしなりの解離性同一性障害を、何らかの文章として表現したいなって
ここのところずっと、強く思っていたんですね
やってみなきゃわからない、宝くじだって買わなきゃ当たらない
だから、心配な部分は多々あれども、挑戦してみたいです
「書くこと」だけは、むかしっから大好きな行為だったから
あ、それはここに書くのか、またはほかのブログスペースなりを借りて書くのか
それすらもまだ、決めていませんが
長くなっちゃいましたねー、ごめんなさい
まとめることもせず、いきなり書き出してのものなので(まぁいっつもそうなんですけど)、どうかお許しください
ブログ運営がどうなるかわからないのもあったので、こんなことを今日は書いてみました
呆れることなく、今後もお付き合い願えればとっても嬉しいです
最後までお読みくださり、ありがとうございました